その目的と事業のあらまし
旧三笠ホテル 国重要文化財
国内で現存する唯一の木造純西洋式ホテルで当会は保存に尽力した。
旧スイス公使館 深山荘
戦時下日本外交上の唯一の拠点であり在日外国人の安全を図った窓口となった。当会は署名運動で保存に尽力した。
軽井沢文化協会の創立は
1953年(昭和28年)8月30日です。
この会は、軽井沢に常住しているものと、
軽井沢に別荘を持っているものとで行っている会であり、
① 軽井沢の善良な風俗と清浄な環境の確保
② 軽井沢の文化的向上
③ 会員相互の親睦
を目的としております。
あらためていうまでもなく、
軽井沢は風光明媚な観光地として有名ですが、
それと同時に、わが国で数少ない健全で、
文化的な別荘地だと言うこともよく知られています。
1888年(明治21年)カナダ生れの宣教師A・C・ショーさんたちが、
この地に別荘をつくったのが始まりで、段々に開発されて現在では、
別荘、寮(会社・団体・学校)の数は15,000を超えるといわれる
全国一の別荘地となりました。
この120年余を通じての軽井沢の一番の特徴は、
善良健全な風土が守られてきたと言うことです。
今日多くの観光地が歓楽街化している中で、
軽井沢だけを健全な別荘地にしておくことは、
決して容易なことではありません。
軽井沢で健全な風俗維持の伝統が守られているのは、
この町の心ある住民と別荘の人々とが協力して、
不断の真剣な努力を行っているからであって、
もしその努力がなかったら、ここも、
たちまち世間なみの歓楽地になってしまうだろうことは
目に見えています。
この問題に強い関心を持ち、監視を怠らない
軽井沢文化協会のような団体の存在理由の一つはここにある、と
私たちは考えております。
軽井沢町には「善良なる風俗維持に関する条例」
(1958年4月1日施行)という、他の市町村にはない
特別な条例があります。
この条例は、軽井沢文化協会が、
軽井沢会や軽井沢婦人嬌風会と協力して提案し、
町、町議会も賛成したものであって、
この条例にもとづいて設けられた「風俗審議会」が、
善良な風俗維持のための、常設監視機関という役割を担っております。
さらにこの条例の目的を達成するために、昭和51年6月に
「軽井沢の善良なる風俗を維持するための要綱」が告示され、
それぞれの関係者は、清らかな保健休養地の環境を維持する
責務を負うことになっております。
さらに軽井沢文化協会は、町の文化の向上に役立ちたいと考えて、
後述するように講演会を始めとしていろいろな事業をやってきました。
これらの事業は同時に、この多くが、自然に会員相互の
親睦をはかるという目的を達することにもなっております。
さらに、一つ申し添えておきたいことは、
本協会が格式ばった、堅苦しい団体ではないということです。
偉い肩書きをもった人も、何の肩書きをもたない人も、
男性も女性も、一切差別なしの民主的運営をおこなっていることです。
私たちは、肩書きぬきで、何のこだわりもなく、
気楽にものが言える会にすることを皆で心がけてきましたし、
またそうなっていると思っております。
そういう意味では、この会は
自由な雰囲気をもった社交機関である
といえるでしょう。
軽井沢の善良な風俗、健全な生活環境をまもっていくということは、
決して易しいことではありません。
軽井沢まで新幹線が来るようになり、
軽井沢での生活が便利になることはよいことでしょうが、
他方それが自然、生活環境、風俗の破壊の
危険をともなっていることは見逃すことはできません。
軽井沢を愛する人たちが一人でも多く本協会に入会され、
お互いに協力して、軽井沢を健全な住みよい町にしていくことが、
私たちの願いであります。
私たちがこれまで行なってきた事業と催しを
年次を追って挙げてみますと後記のごとくです。